日本の連合艦隊とロシアのバルチック艦隊が日本海で戦った大海戦です。東郷司令長官ひきいる連合艦隊(戦艦4隻・巡洋艦8隻以下96隻)は、バルト海のロシア基地から派遣されたバルチック艦隊(戦艦8隻、巡洋艦6隻以下38隻)を、対馬沖で待ちかまえ、1905年5月27日・28日の二日間にわたって激しい戦いを行い、バルチック艦隊の19隻を撃沈、7隻を捕獲または抑留し、同艦隊を壊滅させました。一方日本側の損失は百トン未満の水雷艇3隻だけであり、ロシアはこの敗戦で太平洋に配備していた艦隊を全て失ったため戦意を失い、日露両国間で講和の話し合いが進み、アメリカ大統領の仲介でポーツマスにおいて講和条約が結ばれました。