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三笠が戦った日露戦争

日本海海戦


「三笠」艦橋の図(東城鉦太郞画)

日本の連合艦隊とロシアのバルチック艦隊が日本海で戦った大海戦です。東郷司令長官ひきいる連合艦隊(戦艦4隻・巡洋艦8隻以下96隻)は、バルト海のロシア基地から派遣されたバルチック艦隊(戦艦8隻、巡洋艦6隻以下38隻)を、対馬沖で待ちかまえ、1905年5月27日・28日の二日間にわたって激しい戦いを行い、バルチック艦隊の19隻を撃沈、7隻を捕獲または抑留し、同艦隊を壊滅させました。一方日本側の損失は百トン未満の水雷艇3隻だけであり、ロシアはこの敗戦で太平洋に配備していた艦隊を全て失ったため戦意を失い、日露両国間で講和の話し合いが進み、アメリカ大統領の仲介でポーツマスにおいて講和条約が結ばれました。

 

でも子とそう吉の部屋 〜日本海海戦〜

そうなんだ、日本海海戦での大勝利が日露戦争を終わりにみちびいたんだね。

でもね、日本も兵力、財力ともに限界で、これ以上は戦争を続けられないところまで来ていたのよ。だからアメリカのルーズベルト大統領の力をかりてロシアとの講和を結んだのよ。

そうなんだ、でもどうしてアメリカのルーズベルト大統領の力をかりたの?

日本政府は、金子堅太郎(かねこけんたろう)が、ハーバード大学に留学していた時に大統領と学友であったことを知っていたので、日露戦争が始まるとすぐに彼をアメリカに派遣して、日本の立場を多くの人に説明させたんだよねZ爺?

そうなんじゃ。アメリカはロシアにも日本にも力をかさないという中立の立場だったんじゃが、良く知っている仲だったからルーズベルト大統領は金子さんを好意的に受け入れてくれたんじゃな。日本海軍の艦隊がロシアの強力な艦隊を撃滅したというニュースを聞いて、ますます日本を応援する気になったという話もあるんじゃよ。そして、日本とロシアだけではなかなか進まなかった講和の仲立ちをして、アメリカのポーツマスで講和条約が結ばれたというわけなんじゃ。